2010年05月08日

無我無心であればこそ器も大きくなる

002.JPG


「木鶏鳴子夜」   by renパパ
(もっけいしやになく)



昔、闘鶏を訓練する名人がいて、王の為に強い鶏を育てていました。


ある日、王は「もう闘わせてもよいのではないか」と

名人に尋ねますが、名人は

「いえいえ、まだダメです」といい取り合いません。



王はその後何度も「もういいであろう」

と闘鶏のデビューを促しましたが、

名人はそのたびに「まだ虚勢を張っている」

「他の鶏を見ては興奮する」

「気負い立ってる」などと言っては断ります。





数十日して、名人はようやく王に鶏を献上しました。



「もう、大丈夫です。他の鶏の鳴き声を聞いても、

まるで木で作った鶏のように平然としているようになりました」と。





虚勢を張って見せたり、威嚇(いかく)したり、

相手に惑わされているようでは本物ではない、

いかにも強そうに見えているうちはまだまだで、

どんなときも泰然自若(だいぜんじじゃく)として無為自然、

じっと構えていられるのが本物の強さだということです。



人も同じです。



いっさいのはからいもなく無我無心で人の為に尽くせる人こそ

本当の人格者と言えるでしょう。



無心であればこそ、何ごとにも動じず、

人知れぬ動きができます。





父親が書いて私に送った物ですプレゼント


posted by 蓮 at 02:12| 石川 | Comment(0) | 記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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